




私達山手ロイストン教会が誕生した山手町241番地という土地は、
明治8年の英国軍駐屯地の撤退と共に、当時120番地だった英国公使館跡を分割し120番及び241〜245番地とに分割され、外国人居留区として誕生いたしました。
慶応3年(1867年)に建築された横浜英国公使館は、残念ながら現存しておりませんが、当時の浮世絵に往年の姿を偲ぶ事が出来ます。
東京・高輪に拠点を置いていた日本で最初の英国公使館が、1863年に勃発した英国公使館焼き討ち事件の後、当地へ移転したことが、私たち山手ロイストン教会の歴史の始まりとなります。


当初から外国人用居留地として開放された事から、
横浜開港から間もなく山手町にはカソリック教会や聖公会などの教会が建設され、横浜に住むキリスト教信者達とその家族との間でコミュニティを成熟させていきました。
現代でも海の見える丘公園近くにある外国人墓地に歴史の面影を垣間見ることができます。


居留地としての開放後、横浜の土地へ新たな希望あふれる外国人実業家達が自身の故郷に思いを馳せるような邸宅を多く建設しました。
世界中で多くの悲しみを残した世界大戦後、241番地は一時的に強制接収されましたが、その後旧ハイチ名誉領事であった横浜の実業家N氏の自宅が建設され、氏の没後山手メモリアルホール・プロテスタント教会として現在の山手ロイストン教会へと生まれ変わりました。
近年パートナーズ倶楽部によるゲストハウス(A番館・B番館)、
そしてサロン館を周囲に備えた、現代の山手ロイストン教会へと変貌を遂げ、地元の人々を始め多くの方々に愛されています。

山手町は横浜の開港後、英語で”Yamate Bluff”または”The Bluff”(切り立った岬という意味)と呼ばれていました。
山手ロイストン教会が建つ、Bluff No. 241という土地の持つ歴史を少し紹介させて頂きたいと思います。
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1867年7月25日(慶応3年6月24日)日本政府(幕府)の命を受け、山手の土地最初の競売がバーン商会により外国人に向けて開かれた。 |
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1867年(慶応3年)英国公使館が完成。東京高輪より拠点を横浜山手町へ移転する。 |
1875年(維新後:明治8年)英仏駐屯所の撤退により、完全なる外国人居留区になる。
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1880年-Mons. X. Salabelle氏 |
1895年2軒の洋館が241番地に新築される。 241A-フランス風邸宅 (図:明治) 241B-ドイツ風邸宅 (図:) |
1923年(大正12年7月)関東大震災勃発、両邸宅倒壊 |
1945年-1971年(昭和47年)第2次世界大戦後接収、25年以上の歳月の後山手地区の接収が解除される。 現在のA番館、B番館、サロン館そして事務所館はこの当時、外国人用住宅として建築されたものである。 |
1992年(平成4年)当時241番地に建っていた樫の木に囲まれた瀟洒なクリンカー張りの極東支配人邸は、
山手ロイストン教会の目の前に位置する大韓民国領事館、近くには米国国務省外交官研修施設があり、複数のインターナショナル・スクールに囲まれたこの地域には伝統的に多くの外国人が今も居住しています。 |